ぞうりの文化史

現在のぞうりの原型は平安時代に登場したようです。
ちなみに、それ以前は木をくり抜いて作った「沓(くつ)」や、
木製の板に鼻緒を付けた「下駄」の原型、そして「わらじ」
の原型がほとんどでした。がほとんどでした。

平安時代前後
平安期の高貴な女性が履いていた履物は、イグサ製で、鼻緒も同素材だったようです。ちなみに、足の指に緒をはさむ履物は、世界中でも日本独特の形のようです。
   わらじの原型のようですが、イグサは切りっぱなし、鼻緒のすげ方は現在のようなV型というより、むしろ横に1本の型といったほうがいいもの
江戸時代後期〜明治初期
現在のぞうりや下駄とほぼ同じ形態のものが一般的になったのは江戸後期から、明治初期。コルクのない時代だったためか、畳表などが多く使われていたようです。 
 
右は「鹿児島」と称されていた男物の下駄。左は「角力取下駄」といわれる大きな男物の下駄
幕末期のぞうり2点。どちらも裏は革張りです。左は「雪踏(せきだ)」とよばれていたもの。
今も残る宮中礼装用の易(沓)
一般的な履物の変遷とは一線を画しているのが、宮中の履物です。木をくり抜き漆を施した沓は、聖徳太子の時代から現在まで、変わることなく使われています。
約230年前の宮中の履物。歩行距離が長い場合に使用された、踵を固定する「あとがけ紐」のついたもの 明治3年の大阪心斎橋の風景。当時からこの界隈が履物の中心地だったようです。
昭和初期
昭和5年。大阪ではじめて、履物業界の連合見本市が開催されました。大盛況に終わったため翌年からは年1回になったとか
  昭和5年の第1回大阪履物同業組合主催の見本市は展示会兼即売会でした。 
昭和30年代
大阪の履物業界が活況を呈していた昭和30年代。年を追うごとに盛況さは増していきました。
  昭和30年代の小大丸ビル内・名店街の店頭風景
 
昭和33年開催のニューヨーク国際見本市にはぞうりを履いたミス見本市が参加
昭和38年の大阪履物見本市の会場風景。展示スペースは現在同様、ブース分けです。

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